横浜地方裁判所 平成9年(行ウ)57号 判決 1999年4月20日
原告
遠田勝利
右訴訟代理人弁護士
對﨑俊一
被告
横浜北労働基準監督署長
松島尉浩
右指定代理人
熊谷明彦
外五名
主文
一 原告の請求を棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第一 請求
被告が、平成七年四月三日付をもって原告に対してなした労働者災害補償保険法による療養補償給付及び休業補償給付を支給しない旨の処分を取り消す。
第二 事案の概要
一 争いのない事実
1 原告は、株式会社遠田製作所(以下「遠田製作所」という。)の代表取締役であり、労働者災害補償保険法(以下「労災保険法」という。)二七条、二八条に基づき特別加入を承認された者である。
2 原告は、平成六年九月一七日、横浜市港北区高田町<番地略>所在の遠田製作所工場において、一一〇トンプレス機を使用して、作業に従事していたところ、右プレス機に左腕を挟まれ「左上腕不全切断」と診断される傷害を負った。(以下右事故を「本件事故」といい、右傷害を「本件傷害」という。)
3 そこで、原告は、本件傷害は業務上の事由によるものであるとして、被告に対し、療養補償給付及び休業補償給付を請求したが、被告は、平成七年四月三日付で療養補償給付等を支給しない旨の行政処分(以下「本件処分」という。)を行った。原告は、本件処分を不服として、神奈川労働者災害補償保険審査官に対し審査請求をしたが棄却され、さらに原告は、これを不服として労働保険審査会に再審査請求をしたが、平成九年九月二四日付で棄却された。
4 本件処分の理由は、本件事故は、遠田製作所の所定労働時間は午前八時三〇分から午後五時までと推認されるところ、原告は、所定労働時間終了後に近所のそば屋に夕食をとりに行き、従業員が退社した後に帰宅し、改めて一人でプレス作業に従事していた際に負傷したものであって、その作業は、就業時間内に接続して行われる準備、後始末の業務とも認められないので、労災保険法三一条、労働者災害補償保険法施行規則(以下「労災保険法施行規則」という。)四六条の二六に基づく、労働省労働基準局長の通達「特別加入者に係る業務上外の認定の取扱いについて」(昭和五〇年一一月一四日基発第六七一号、以下「本件通達」という。)に定める特別加入者の業務遂行性の認定基準に該当せず、業務遂行性が認定できないというものである。
二 争点
原告は、本件事故は業務災害に当たるので、本件処分は取り消されるべきであると主張し、その理由として本件通達によっても、本件事故については業務遂行性を認めるべきこと、仮に本件通達の定める基準に当たらないとしても、労災保険法の趣旨によれば本件傷害は業務災害と認めるべきことを主張する。よって、本件の争点は本件事故が業務災害といえるかどうかである。
三 争点に関する当事者の主張
(原告)
1 労災保険法第四章の二に定める特別加入制度(以下「特別加入制度」という。)の趣旨は、中小事業主等特別加入者となりうる者の中には、一部ではあるが、業務の実態、災害の発生状況などから見て、労働者に準じて労災保険により保護するにふさわしい者が存在しており、これらの者に対しても、労災保険の建前及び保険技術的に見て可能な範囲内で、特に労災保険への加入を認めて保護を図ることにある。労災保険法二七条一号に定める特別加入者は事業主であるから、その業務は労働者のそれとは異なり経営者の仕事を含むほか多岐にわたる可能性があり、特別加入者の業務遂行性を認定する要件が労働者についてのそれと異なることは当然の事理といえるが、「労働者に準じた保護」という以上、業務遂行性の認定も右趣旨に沿ってなされるべきである。
2 本件事故が発生したのは、当日、従業員と共にプレス作業に従事し、従業員が業務を終えた後に納期に迫られどうしても当日中に仕上げなければならない仕事があったので、工場近くのそば屋で一人短時間の夕食をとって工場に戻り、当日の昼間に行われていたのと同一の種類のプレス作業を行っていた際のことである。
(一) まず、原告が特別加入を申請した際の申請書の別紙には、労働時間が記入されていないところ、遠田製作所において午後七時ないし八時までの残業は常態化していたものであり、本件事故は従業員が通常就労していた時間内に発生したものとして本件通達によっても業務遂行性が認められる場合である。なお、遠田義明及び遠田雪子の加入手続を行った際の変更届には、業務時間が午前八時から午後五時までである旨の記載があるが、原告は、この書き込みが誰によってなされたか知らないし、また、そもそもこの書類は原告には直接関係しないものである。
(二) 仮に勤務時間中とはいえないとしても、右労災保険法の趣旨によれば、本件通達第一の一の(1)のハに定める就業時間に接続して行われる後始末行為の「接続」とは、質的な連続性があることを意味し、また、「後始末」とは終業時間まで行われていた業務と質的な連続性のある業務を含むものと解すべきである。この基準によれば、本件事故には「後始末」としての業務遂行性が認められる。
3 本件通達は、業務遂行性の基準をあげているが、これについて要件を限定するものと解することは、特別加入者を労働者に準じて保護することとした労災保険法の趣旨に反して無効であるから、例示列挙と解すべきであり、右趣旨によれば、本件傷害は保険給付の対象となる。
(被告)
1 特別加入制度の趣旨は原告主張のとおりであるが、労災保険は本来労働者の業務災害に対する補償を目的としたものであり、特別加入者には労働者に準じた保護が与えられるのであって、特別加入者の行うすべての業務について保護が与えられるものではない。特別加入者の業務内容は、労働契約に基づく他人の指揮命令により他律的に決まる労働者の場合と異なり、当人自身の判断によって主観的に決せられることが多く、通常その業務の範囲を確定することは困難である。右のような特別加入制度の特殊性からすると、特別加入者についての保険給付の対象となる業務の基準を抽象的に決めるのは困難であり、その内容は、具体的細目的なものとならざるを得ない。右のような具体的細目的な基準を定めるため、労災保険法の委任を受けた労災保険法施行規則は、本件通達の定める基準により認定を行うものとしている。
本件通達は、中小事業主等の特別加入者について業務遂行性が認められる範囲を特別加入申請書別紙に記載された業務の種類及び所定労働時間に原則として限定し、そこから保護の範囲を拡張することは制限的に取り扱っている。すなわち所定労働時間内での作業中に災害が発生した場合には、特別加入者が単独で作業していた場合であっても、事業主の立場において行う事業主本来の業務に従事していた場合を除き、保護の対象となるが、所定労働時間外での作業中に災害が発生した場合には、①当該事業場の労働者と共に就労している場合、または、②就業時間(時間外労働を含む。)に接続して行われる準備・後始末の行為を行う場合に限って業務遂行性を認めることとしている。
前記のような特別加入制度の趣旨及び同制度の特殊性からすれば、右のような制限的な基準の設定は必要かつ合理的なものというべきである。
2 本件においては、特別加入申請書の別紙には、所定労働時間については記載されていない。このような場合に、およそすべての就労にかかる災害について業務外と認定することは特別加入者に酷であるし、逆に、全てが業務上であると認定すべき理由はないから、当該事業場における実態を見て当該所定労働時間を判断すべきであり、原告の事業場の所定労働時間は、午前八時三〇分から午後五時までであったと認定するのが相当である。しかしながら、本件事故が発生したのは、午後七時三〇分から午後八時ころまでの間であり、所定労働時間外である上に、他の従業員も就労していないときである。さらに、原告は、所定労働時間後に一人で夕食をとり、改めてプレスを操作・調整中に本件事故に遭遇したものであるから、右の業務遂行性の基準のいずれにも該当しない。
3 本件通達は、右のような保護の対象を制限的に取り扱っているところであるが、右に述べたように本件通達による基準には合理性が認められ、本件通達の基準は制限的列挙であると解することは労災保険法の趣旨に反しない。
第三 争点に対する判断
一 前記争いのない事実に後掲各証拠を総合すると次の事実が認められる。
1 原告は、平成六年九月一七日、午後七時三〇分ころから午後八時ころまでの間に、遠田製作所の工場内で一人でプレス機械の調整を行っていた際に本件傷害を負った。当日は土曜日であったが、日本ビクターからの仕事が入り、原告及び二名の従業員が出勤してプリント基板のプレス作業をすることとなった。当日は、製品の種類は五点あったが、そのうち一点が残ってしまったため、原告は、その作業を同日中に完了させることとした。しかし、原告は、胃弱でもあったことから軽い食事を済ませてから夕刻以降の作業をするのを通例としていたところ、当日も午後六時三〇分ころ近所のそば屋に夕食に行き、午後七時ころから午後七時三〇分ころまでの間に工場に戻った。なお、二名の従業員は、午後六時二二分までにはいずれも作業を終了していた。原告は、右一点の製品のため、三〇分ほど費やして一一〇トンプレス機に金型を取り付ける作業をしていたが、プレス機の集塵機がうまく作動しなかったため、調整しようと左手をプレスの間に入れたとき、原告の体がボタンに触れ、プレス機が作動して、原告は左腕を挟まれた。(甲二、乙九、一一、一五。なお、乙一〇には、事故発生時刻が午後七時前後であると読みとれる原告の供述が聴取されているが、この聴取書の作成は、平成七年七月二〇日で、事故から相当の日数が経っていることからして採用できない。)
2 原告が特別加入を申請した際の申請書別紙の業務内容欄には、所定の就業時間は記入されていない。また、昭和五六年に原告の弟遠田義明とその妻遠田雪子を特別加入させるため提出された特別加入に関する変更届には、業務又は作業の内容の欄の下欄外に8:00〜17:00と書き込まれている。(乙一、二)
3 平成六年九月当時、原告は、三名の従業員を雇用し、そのうち一名についてはほぼ毎日午後五時すぎに会社を退出しているものの、残る二名については午後七時を過ぎて退出することも多かった。平成六年九月分のタイムカードによれば、従業員の一人工藤隆志は、全労働日二五日のうち、午後七時以降に退出したのが一六日間、そのうち午後七時三〇分以降に退出したのが九日間、さらにそのうち午後八時以降に退出したのが六日間であり、もう一人の従業員中山については、全労働日二六日のうち、午後七時以降に退出したのが二〇日間、そのうち午後七時三〇分以降に退出したのが、一四日間、さらにそのうち午後八時以降に退出したのが九日間であった。従業員の勤務時間は毎月ほぼこのようなものであった。(甲二、三、乙一二ないし一四)
二 以上を前提に判断する。
1 労災保険制度は、本来、本来労働者の業務災害等に対する保護を目的とする制度であって、労働者以外の者を保護の対象とするものではないが、中小企業主等、業務の実態や災害の発生状況から見て、労働者に準じて保護を与えるべき者がいることから、労災保険の趣旨を損なわず、かつ保険技術的に可能な範囲で特に労災保険への加入を認めて、これらの者についての業務災害等に対する保護を与えることが特別加入制度の趣旨である。このうち、中小企業主等に関する特別加入制度(労災保険法二八条)は、労働者に関して成立している労災保険にかかる労働保険の保険関係を前提として、右保険関係上、事業主を労働者とみなすことにより、当該事業主に対する同法の適用を可能とする制度である(最高裁判所平成九年一月二三日第一小法廷判決・労働判例七一六号六頁参照)。右労災保険法二八条の規定の趣旨からすれば、中小企業主等に関する特別加入制度は、事業主としての面と労働者としての面を併せもっている中小事業主等の業務内容のうち、労働者としての面に着目し、所定労働時間若しくはそれに接着した時間又は労働者(従業員)が現実に就労している時間等、労働者について労災保険にかかる労働保険の保険関係が成立している間において、事業主自身が労働者として就労している場合に労働災害を負ったときについて、当該事業者についての労災事故を労災保険の保護の対象とするものである。したがって、所定労働時間や労働者が現実に就労している時間等以外の時間に行った業務については、むしろ、事業主が任意に業務を行うものであって、事業主としての本来の業務と見るべきことから保険給付の対象としていないものである。
ところで、特別加入者に関する「業務災害の認定」については、労災保険法三一条の委任を受けた労災保険法施行規則四六条の二六が、「労働省労働基準局長が定める基準によって行う。」と定め、それを受けて、本件通達が特別加入者の業務上外の認定を行うか否かについて、中小事業主等の特別加入者については①特別加入申請書別紙の業務の内容欄に記載された所定労働時間内において、特別加入の申請に係る事業のためにする行為(事業主としての立場で事業主本来の業務を行う場合を除く。)及びこれに直接附帯する行為を行う場合、②労働者の時間外労働に応じて就業する場合、③就業時間に接続して行われる準備・後始末の業務を特別加入者のみで行う場合等に業務遂行性を認める旨の定めをしている。
このように本件通達は業務災害の認定基準を定めているところ、右摘示にかかる基準が前示の労災保険法二八条の解釈を逸脱していないことは明かである。そして、本件通達が、特別加入申請書の別紙に業務の種類と所定労働時間を記入させて、保護の範囲を明確にし、かつ特別加入を承認するか否かの判断材料としたうえで、特別加入が承認された場合は右業務の種類と所定労働時間に含まれる業務については原則として業務遂行性を認めて保護するとともに、右の範囲を拡大するのは制限的に扱うという制度をとっていることは、労災保険法二八条及び労災保険規則四六条の二六の規定の趣旨からしても、やむを得ないところである。本件通達が定める基準によれば、事業主が事業主の立場において行う事業主本来の業務は給付の対象とならず、また所定労働時間外に事業主が単独で行っている業務については、就業時間中の業務と連続した後始末や準備行為でない限り給付の対象としないことになるが、これは、前記の労働者に準じて保護するという労災保険法の趣旨に反するとはいえない。
2 以下本件通達の基準に照らして本件事故の業務遂行性を判断する。
(一) まず、本件事故が所定労働時間中に起こったものか否かという点について、本件通達は、特別加入申請書別紙の業務の内容欄に記載された所定労働時間内か否かという基準によって判断するとしているところ、原告が特別加入した際の申請書別紙には所定労働時間の記載がない。この点に関し、遠田義明と遠田雪子を加入させたときの特別加入に関する変更届に、所定労働時間が午前八時から午後五時までであるかのような記載があることが問題となるが、これは、右二名の業務の内容を記載したものであり、原告らについて業務内容の変更が行われた形跡はないから、これをもって所定労働時間を認定することはできない。申請書別紙に所定労働時間の記入がない場合に所定労働時間をどのように認定すべきかが問題となるが、所定労働時間の記入がないからといって、保険給付の対象としないというのは加入した意味をなくすものであり、逆に記入がないことのみをもって直ちに全ての時間を所定労働時間とすることは前記の特別加入制度の趣旨に反することとなる。そこで、このような場合は、当該事業場における労働者の労働時間の実態に照らして判断するのが適当であるところ、甲二、乙九、一一によれば、遠田製作所では、いわゆる所定労働時間としては午前八時三〇分から午後五時までとし、午後五時一〇分以降は残業として扱っていたことが認められる。また、実際の労働時間は、右一3の認定事実によれば、遠田製作所では午後七時ころまで従業員が業務を行っていることが全体の約三分の二で、午後七時三〇分ころまで行っていることが約半分であることから、午後七時ころまでの労働は常態であったと認められるが、右常態があるからといって遠田製作所の所定労働時間が午後七時までということができない。仮に右所定労働時間が午後七時までであったとしても、本件事故は、午後七時三〇分ころ以降に発生したのであり、本件事故が所定労働時間中に発生したということはできない。
(二) 次に、本件事故が業務に接続した後始末行為ということができるかが問題となるが、労災保険法の趣旨からは労働者の業務に準じた業務を行っているといえる場合に保護の範囲を広げるべきであると解すべきことからすると、後始末行為について本件通達が業務遂行性を認めることとした理由は、このような行為が典型的に労働者の行った業務に付随する行為と認められ、労働者に準じて保護すべき場合に該当するからである。したがって、本件通達にいう後始末行為と認められるためには、労働者が行うであろう本来の業務に付随した業務であることが必要であって、労働者の行った業務とは独立した本来の業務は後始末行為に含めるべきではない。本件事故は、従業員がいる間に作業していたものとは別の製品についてのプレス作業そのものを行うための、新たな金型を設置し、プレス機械の調整中に発生したもので、後始末行為を行っていた際のものということもできない。
3 また、前説示のように、本件通達は業務上の認定を限定するものとして合理的なものであり、前記の労災保険法の趣旨からしても、これを例示列挙と考えることはできず、労災保険法の趣旨により、本件事故について業務災害と認めることもできない。
4 以上のように、本件事故について、業務遂行性が認められないとして、不支給決定をした被告の処分には違法性はない。
三 結論
よって、原告の請求には理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法六一条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官南敏文 裁判官須賀康太郎 裁判官森髙重久は、転補につき、署名押印することができない。裁判長裁判官南敏文)